過去の法話

4人の妻

滋賀県 宗清寺住職 上田了禅 老師

「四人の妻を持った男」のお話です。
その男は第一夫人のことを片時も離さず、暑いといえば服を脱がせてやり寒いといえば着せてやり、暑さ寒さの苦労知らずで可愛がりました。

第二夫人に対してはそばにやってくるとニコニコしますが、そばを離れると怒りっぽくなるのでした。

第三夫人との仲は、近くに来ると手を固く握りしめ、別れる時は見えなくなるまで手を振り合う間柄でした。

この三人の夫人に比べ、第四夫人は常にそばにいるけれども、優しく言葉を掛けてやるようなことも、まったくありませんでした。

ある時、急にこの男が遠い国へ長旅に出ることになりました。各夫人に同行してくれるよう、愛する順に声を掛けて誘いました。
第一夫人には「あなたと一緒の旅はご遠慮申し上げます」とあっさり断られました。

第二夫人はと云えば「第一夫人が同行したくないという旅に、第二夫人という立場上、ご一緒するわけにはいきません」とノーの返事。

第三夫人にも声を掛けると「あなたの御旅立ちを村はずれまでお見送りいたしますが、一緒の旅はごめんです」と断られました。

最後に、普段は声も掛けない第四夫人を誘ってみましたら、「私で良ければどうぞあなたの旅に連れて行ってください」と快い返事でした。結局その男は第四夫人とだけ長旅に出たというのです。  

これはたとえ話です。
「長旅」とは「よみ黄泉への旅路」あの世への旅立ちであります。
第一夫人とは私たちの身体。第二夫人とは財産。第三夫人とは「親戚縁者・友人」であります。そして付き従った第四夫人とは私たちの「行い」だったのです。

あの世への旅には「身体」「財産」「親戚縁者・友人」などは共について来てくれません。付き従うのは「自らの行為」だけなのです。

道元禅師のお言葉にも「ただ独り黄泉におもむ趣くのみなり」とあります。普段思ってもみない日々の「自らの行為」をこの機会に見直してみてはいかがでしょうか。そして、「身体」「財産」「親戚縁者・友人・家族」への接し方が間違っていないか点検して見ようではありませんか。

2005/11/22