過去の法話

自由

京都府 萬歳寺住職 服部俊憲 老師

毎朝のおつとめのお経は『般若心経』です。もっとも親しまれているお経です。

般若心経は、「観自在菩薩」ということばで始まりますが、観自在菩薩は別名、観世音菩薩、すなわち観音さまのことです。孫悟空で有名な三蔵法師さまが、「観音」さまを「観自在菩薩」と訳されたのです。物事を自由自在に観ることのできる菩薩という意味です。

仏教の特徴は、お釈迦さまの説かれた教えをお経にしたものです。ですから多くのお経は「如是我聞」(是の如く私は聞きました)で始まります。これはお釈迦さまがどう説かれかよりも、お釈迦さまの教えを私たちがどう聞いたかということが大事なのです。仏さまの教えを私たち一人ひとりが聞くという主体性が大事なのです。

自由というのは自分に由るということです。私たちは日常を本当に物を自分に由って見ているのでしょうか。

他人があの人はいい人だといえばいい人のように見えてしまう。世間の評判が悪くなると、私もその人を悪い人だと見る。宣伝に踊らされて商品を買うのも、高いブランド品を身につけるのも自分に由ってではなく他人に由っての場合が多い。

自由自在に観ることが本当の智慧です。人が生きる、人の幸せはそれぞれ一人ひとり違うのです。

今、日本人の最大の常識は「お金があるのは幸せだ、お金があると幸せになれる」というのも他に依る世間の常識なのです。自由に由る自由ではありません。

お金があっても不幸せ家庭は数多くあります。反対に貧しいけれど、明るく幸せな家庭も数多くあります。

私たちはお金さえ有ればといった現代社会の常識を一度捨てて、自分と家庭が本当に幸せになれる道、観自在、自由自在に見つけてみませんか。

2005/10/04