過去の法話

良薬

兵庫県 琴松寺住職 平和宏昭 老師

写真家の宮崎学さんの作品に、『死を食べる』(偕成社)とう写真集があります。

動物の目で環境を考えようと、車にはねられたタヌキやキツネの動物の無残な死骸に鳥やハエがついばむ姿や砂浜にうちあげられた魚をヤドカリが群がる写真をとらえ、
「死なない生き物は、いない。死ぬと、その死は誰かに食べられる。死を食べて他の生き物が命をつなぐ。人間だっておんなじだ。僕らが毎日食べている魚も、牛や豚、ニワトリの肉だって、つきつめて考えれば、動物の死骸なのだから。スーパーマーケットでは、きれいにカットされ、パックされているから、気がつかないことが多い。けれども、ぼくらも、死を食べて生きているんだ」
と、コメントをつけておられます。

私達は、動物や植物の命を頂戴しないと生きてはいけないのです。人間も動物です。この同じ動物が、牛や豚やニワトリといった家畜を殺し、「このビフテキおいしかった」「ここのヤキトリはうまい」と言って食べています。

テレビで「大食い」や「早食い」競争番組がよくありますが、これでもか、これでもかと食べ物を口に運んでいます。苦痛で顔を歪めながら口に放り込んでいます。笑いながら見ていました。

チャンネルを変えますと、難民の子供たちの悲惨な姿が映し出されています。ほこりまみれになり、衣類はどろだらけ、痩せ細っています。栄養失調です。
体にむらがるハエすら追い払うことが出来ません。胸が痛みました。

食べ物は生命をつなぐものです。大食い競争を笑いながら見ていた自分が恥ずかしくなりました。食事はいただくものです。手を合わせて感謝の心で食べなくてはなりません。

ご本山での修行は、精進料理ですが、精進料理といえども野菜の命を奪って食べているのです。大根や人参にも命があります。種を蒔いて大きく育つのも野菜が生きているからです。

食事をいただく時の偈文に「良薬」とう言葉が出てきますが、「野菜や肉、魚の命をいただくのは、私達の生命をつなぐ薬」という意味です。
宮崎学さんは、
「いろいろな生きもののことを考えるとき、ぼくらは、彼らが住む山や海、森や川のこと、そして空気や水のことも一緒に考えます。れども、そうした環境の中に人間の生活も含まれていることを、どうも忘れてきてしまったようです」
と、反省されています。

私達は、豊かさにおぼれ、「共生きの中に活かされている」、このことを忘れてはなりません。
命をつなぐ食べ物に、もっともっと感謝して、いただきたいものです。

2003/12/09