過去の法話

経済

京都府 苗秀寺住職 大谷俊定 老師

最近は、「経済改革」とか「政治改革」とか、とにかく「○○改革」といわれていますが、仏様の教えとしての「経済」という言葉はどういう意味なのでしょうか。

仏様の教えとしての「経済」という言葉は「高い理念を持って、悪を排斥し人々をひたすらに幸せに導く」という意味なのです。

「経済原理に従って」などとよく耳にしますが、この意味は「貨幣戦争という情け容赦のない弱肉強食の原理に従って」と置き換えてみますと、寒気のする思いがします。

「儲かれば良い」「お金が第一だ」という経済原理は、国民の健康と安心を提供する食品業界や医薬品業界、公平を旨とする行政や政治の世界など、多くの人々の心を大きく歪めてしまいました。
その結果としてのツケは、多くの賠償金や倒産という悲しい結果を引き起こしています。

私たちは、お金を儲ける事を研究し、手段を見つけ、少しでも多くを稼ぐことに心血を注ぎ、人よりも少しでも楽な生活を願い、少しでも便利な生活をと努力してまいりました。

でも、よく考えてみると「より良い豊かさ」について考えることをしてきたのでしょうか。
「お金の使い方や生かし方」を考え学んだでしょうか。
すべての価値を貨幣経済に置き換え、人の心もすべてが貨幣による換算となって参りました。

あるお宅にお伺いしますと、正面玄関に大きな絵画がかけてありました。
「この絵は有名な先生の肉筆だよ。600万円もするんだ」という説明。
「私は絵のことがわかりません。この絵はなぜ良いのですか」と尋ねますと、「わしもよう分からん。バブルのころは6000万もしたそうだが、今は一割になった。将来もっと高くなるから買っといたんや」とのこと。

この絵の持つ芸術的な価値ではなく、貨幣価値で買ったんだなと思うと、なんだかその絵がかわいそうになってきました。

経済という言葉を今では「高い理念を持って、悪を排斥し、人々をひたすらに幸せに導く」という仏様の教えだとは多くの人には、もはや知られていないでしょう。

エコノミーという経済の世界にとっぷりと浸かっている私たち。
仏様の教えとしての「経済」という教えをみんなで真剣に活かさなければならないと思います。

2003/04/08