禅〜凛と生きる〜|曹洞宗近畿管区教化センター

禅のお話

今月の法話

いのち

兵庫県 最明寺住職 大槻覚心 老師

ごく親しい人から年齢を聞かれますと、拙僧は37億歳ですとお答えすることがあります。そんな時大抵の人は、怪訝な顔をされたり、冗談を言っているのだと思われて、笑い出されたりします。でも私は大まじめでお答えしたつもりです。

地球の生命が誕生してから、少なくとも37億年の年月が経ち、その間、私の命が今日まで続いてきたのだと説明いたしますと、少しは納得していただける人もあります。あらゆる命は人間の命を含めて、無量であり、永遠であるという連続性と継続性をもっています。しかし、それとともに、生命は無常であり、人は生まれて老いて病気になり死んでいく存在でもあるわけです。

このように、生命は一面からみると、どこまでも連続して続いていきますが、他方では、生命は瞬間瞬間が裁断されていて、同じ状態を一瞬も留める事ができません。たとえば、私たちの身体は60兆の細胞の集合体ですが、刻々と細胞は生まれては死にをして、日々更新して数年もすると骨まですっかり入れ替わってしまいます。生命は永遠でありながら、無常であるという一見相反する性質を宮沢賢治は有機交流電燈と詩の中でなづけたことがあります。生命の有機交流電燈は皆と一緒に点滅を繰り返しながらもどこまでも広がりつづけています。

生命が無常であると嘆き悲しむ人は生命の永遠性を今一度思い起こして頂きたいと思います。
また、生命の永遠性に安住して、安心しきっている人には無常の側面から目を背けることなく生きてほしいと思います。
無常の自己を見つけることで、日々新たに生きることができ、生命をより充実させて生きることが出来ると考えるからです。

2007/08/01
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