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全長寺
あじさいとだるま寺|仏に出会い 花に出会い 人に出会い

全長寺の一帯に広がる赤、青、白、ピンクの色とりどりのあじさいの花。あじさいを愛でる目的でバスを列ね、観光客が足を運ぶようになったのは近年のこと。

現在、住職をつとめる平家芳雄老師があじさいの植え付けを始めたのが約25年前のこと。村の活性化を願い、また境内の美観のためにこつこつ植えつづけた。

あじさいは余呉町の花の一つであり、現在は「余呉湖あじさい園」もあるほど。しかし、当時、あじさいはそれほど有名ではなかったようで、平家住職の着想は時代を先取りしていたともいえる。近隣の花屋の協力もあって徐々に植え付けの株数を増やしていき、現在その数、50種類1,500株にものぼる。

あじさいの見頃は6月下旬~7月中旬までと開花時期が長く、長期に渡って楽しむことができる。

日頃のあじさいの管理は、大半は住職が行っている。朝4時起きで草引き、枝の選定、肥料の管理をし慈しみの心を注ぐことは、まさに禅僧としての修行そのものである。

「春は桜、初夏からはあじさい、秋は紅葉と、年間を通して花を楽しむことの出来る寺として皆さんに知っていただければ」と思いを語る住職。

また、だるま寺としても知られる全長寺は、今から150年前に中国から伝わった「だるま絵」の大掛軸が寺宝として名高く、入山拝観するとこの達磨大画像を見ることが出来る。

境内の「だるま石像」は、入山拝観されない参拝者のために、前住職の平家長喜老師が百寿を迎えた記念に建立したもの。

この他、境内随所に七福神像も建立されており近隣の福祉施設の利用者等もお参りし、自由に散策している。

あじさい
約25年前に現住職が町の活性化を願い植えたのがその始まり。
コツコツと植え続けられ、今も品種、数が増やされている。花の見ごろは6月末〜7月中旬まで。
だるま絵
17世泰嶽裔晟禅師の代に禅宗本堂様式を取り入れ改築された書院にかかる一幅。
禅宗の祖である達磨大師が迫力のある筆致で描かれている。
前栽
書院には江戸時代に作庭された、行市山を背景とし、築山と池を配した庭がある。また、江戸期の禅僧、仙厓義梵の画「○△□」に着想を得た庭が近年つくられた。

賤ケ岳の合戦と全長寺

天正十一年(1583)春、当地は柴田勝家と羽柴秀吉の軍勢が激突した賤ケ岳合戦の主戦場であった。四囲の山々には今もこの時の陣地跡が残っており、敗軍の将となった柴田勝家はここで最後の戦いを挑もうとしたのである。中でも北方林谷の砦跡は、主君柴田勝家の再起を願い、その居城へ帰還してもらうため勝家の身代わりとなった毛受勝助と兄の茂左衛門兄弟が、数千に及ぶ秀吉軍と壮烈な戦を繰り広げ、全員討死した所である。全長寺は古くより毛受兄弟の菩提を弔い、また賎ヶ岳の合戦でこの地に果てた多くの無名戦士たちの霊の供養を続けている。

全長寺 本堂(滋賀県重要文化財指定)

全長寺 本堂(滋賀県重要文化財指定)

本堂は寛政元年(1789)に建立された方丈型仏堂で、正面に向唐破風(むこうからはふ)の玄関をつけ、屋根は入母屋造、茅葺形鉄板葺(元茅葺)。

広縁があり、堂内に入ると露地土間の細長く高い天井の大きな空間が広がる。勾配があり高い屋根は、雪深い湖北地方特有のものである。建物には改造部分が少なく、建立当時の伽藍形態を残し、庫裡と共に滋賀県の重要文化財指定を受けている。

十六羅漢像
十六羅漢像
釈迦三尊像
釈迦三尊像
樹齢400年以上の老杉
樹齢400年以上の老杉

馬頭観音菩薩像

馬頭観音菩薩像

馬頭観音菩薩像は元、天台宗万福寺の本尊であった。万福寺は戦国時代に焼失し、その後慶長16年(1611)山麓に再建されたが、明治に入って寺院の老朽により、本尊馬頭観音像は全長寺に移され今日に至っている。

像は彩色美しい寄木造りで、頭上は馬頭と二つの側面をもち、焔髪忿怒の相で六臂の立像。肘や脛をあらわに蓮台に立たれる姿は、諸悪を打ち払い人々の願望をかなえてくださるといわれ、また交通の守護神としても古くから信仰されている。

七福神像

境内随所に七福神像も建立されており近隣の福祉施設の利用者等も自由に散策している。

恵比寿
大黒天
毘沙門天
弁財天
福禄寿
寿老人
布袋

好奇心と探究心でつくる寺の魅力

見どころが豊富にある全長寺だが、その一つが本堂脇の庭にある臨済宗の禅僧、仙厓義梵(せんがいぎぼん)禅師(江戸時代)の代表画、○△□図を模写した前栽である。修行の段階を表すとも、「大宇宙」を表現したものともいわれるこの図を元に、好奇心旺盛な住職が図の意味に感銘を覚え造園したものである。

また、書院奥にある前栽も興味深い。「逆琵琶湖」と呼ぶ池とその後ろに控える行市山を借景として、築山とこの池と後ろの山全体を庭とする発想で造園され、その趣きは江戸時代の作風を今に伝えている。

寺の魅力を伝えるための努力を惜しまぬ住職。奥琵琶湖地帯の余呉町は米どころ。「京都に釜炊きのごはんを出す店に行列ができている」と聞けば、わざわざ京都まで足を運んで試食するなど、少しでも町の役に立てばと奔走している。

「井の中の蛙ではいけません。蒔かぬ種は芽を出さぬと言います。とにかく人の集る所で寺のPRをする。寺を解放し、皆が使ってこそ公益法人としての価値がある、宗派を超えて人々に来てもらうために何ができるかを常に思考することが大切だと思います」と話す。
「蛙が鳴き、蛍が飛ぶ里。自然に恵まれたこの環境を次世代の子供たちに残す、それが私たちの使命です」
宗教者であると同時に一人の大人としての責任を念頭に置き、魅力ある寺づくりに取組んでいる。

略縁起
当山の開基は、文明元年(1469)阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開いた僧・全長で、当時は寺号を「全長坊」と称していた。
大永六年(1526)全長は示寂を前に禅門に帰依し、椿坂桂照院二世の頤正全養(いしょうぜんよう)に全長坊を託す。慶弔二年(1597)全長の意を受けた頤正和尚は、山号を久澤山、寺号を全長寺と改め曹洞宗寺院として開山する。
澤山の意は水の澄んだ地域であり、また地所の池原はその昔、湿地帯であったことを示している。
安永六年(1777)現在の境内地の寄進を受けた九世の實厳梵宗は、老築化した伽藍改築を図るも志半ばで遷化。あとをついだ十世泰蟠童龍は、長年にわたる苦労の末、寛政三年(1791年)今に残る本堂を完成させたのである。
境内に立つ一本杉は、樹齢500年、胴回り5.5m、高さ30mの大樹であり、滋賀県の銘木にも指定されている。
全長寺の本尊は釈迦牟尼仏で、脇仏は文殊菩薩と普賢菩薩。脇仏は寛政九年(1797)に新造されたものである。
虫供養/7月初旬

7月初旬に行われる行事で「小さな虫にも慈悲の心を」と、区長等が中心となり宗派を問わず集落の方々がお参りされる。

成道会と涅槃会/2月の第一土曜・日曜日

2月の第一土曜・日曜日に、成道会と涅槃会を同時に執り行っている。理由は、檀信徒も暮れの12月は忙しいので、お悟りの成道会と涅槃入滅の法要を同時期に務めているとのこと。

その他行事
4月8日 開山忌
8月8日 山門大施食法要
9月1日 羅漢供養
※各行事にお参りの節は、事前にご一報を。
◆入山拝観料 【大人】 300円
※記事は取材時点での内容です。

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