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金龍山 清源寺

清源寺の沿革

寛徳2年(1045)の開山。当時は天台宗に属していたが、室町時代に起こった応仁の乱にて焼失し、文明13年(1481)に曹洞宗として開闢(かいびゃく)する。

本尊は阿弥陀如来。手を隠されている非常に珍しい姿をしておられ、通称「手隠し阿弥陀」といわれる。

建物は、再度の火災に遭い宝暦2年(1752)に再建された。境内の仏堂観音堂は十三世佛海和尚代、文化4年(1807)に再建され、木喰五行明満上人作「十六羅漢」などを安置し、羅漢堂と改称された。

本堂
本堂
本尊 阿弥陀如来
本尊 阿弥陀如来
山門
山門
羅漢堂
羅漢堂
木喰上人一千体満願の寺
みな人の こころをまるく まん丸に
どこもかしこも まるく まん丸

清源寺と木喰上人

一千躰目釈迦如来

文化3年(1806)10月、89歳の木喰は物乞いのような風貌で清源寺に現れた。

木喰は白い髭、身長六尺(約180センチ)、壌(つち)色の衣を着て錫杖を持ち、僧でも俗人でもない異形の人であったという。自ら語るに塩を断って50年、寝具を用いず、常に単衣の衣一枚のみで過ごしてきた。全国を行脚し、神仏千体を刻み加持を修する、すなわち仏の大悲・大智を修めることで衆生の病苦を救うのが望みという。

清源寺と「木喰仏」との縁は当寺十二世、当観和尚が十六羅漢を祀りたいと願っていた時期と重なる。ちょうどその頃、清源寺に滞在していた木喰上人は話しを快諾し、文化3年10月から翌年2月25日までの5ヶ月間滞在して28体の神仏を彫刻した。

清源寺の建物は、一部を除き木喰上人が滞在した頃のままである。今は無いが瓦葺きの薪小屋があって、そこの土間を削り漆喰を塗りそこに水を溜め、木を浮かべて仏像を彫ったという。

木喰上人は、全国各地に仏像(木喰仏)を刻んで奉納しているが、ちょうど一千体目が清源寺の「釈迦如来」である。

現在、清源寺には「釈迦三尊」「十六羅漢」「聖観世音菩薩」「勢至菩薩」「住吉大明神」の22体の木喰仏が祀られている。残りは近くの蔭涼寺に5体、鳥取県に1体あるという。

これらはみな微笑みを現しその姿は天真爛漫そのもので、上人の生涯最高傑作といわれている。

「じつはこれ以外に、近年まで秘仏とされてきた幻の29体目があるんです」と小野崎弘顕住職。木喰上人が滞在していた頃、「村の少年が毎日そば粉を運んだそうです。ある時、お礼のしるしにこの仏像をあんたにやるから、誰にも言うな、誰にも見せるなと授けたそうで、今も村のお宅にある」と話す。

釈迦如来図 木喰上人直筆の軸
釈迦如来図
木喰上人直筆の軸

木食

木食とは「木食戒」といい修行法の一種。五穀を断ち、肉食せず、火によって料理するものを食せず、そばや木の実を粉にして水を混ぜ、これを常食とする百日間の修行。これを行った者を木喰上人と名乗った。

木喰五行明満上人

江戸時代後期の遊行僧、仏師。山梨県に生まれ、22歳で真言宗に出家。56歳のとき諸国巡礼の旅に出る。

その後60歳を過ぎてから仏像造りを始めた。彼の足跡は、北は北海道から南は九州まで文字通り日本全国に渡っており、訪れた先に一木造の仏像(木喰仏)を刻んで奉納した。その数千体以上。

また、上人は45歳から93歳で没するまで生涯「木食戒」を続けたことから木喰上人が代名詞となり、崇敬された。

一千体満願

廻国の造仏聖として上人の徳名を知る当寺十二世当観和尚の依頼を受けて、十六羅漢などを彫り始めるが、一千体満願である「釈迦如来」を彫り終えた夜、夢に阿弥陀三尊が現れ、上人に「六百歳の長寿と仙人と名乗りなさい」というお告げを受けた。これにより名を、神通光明木喰明満仙人と名乗った。

もとより羅漢は人間的存在ではあるが、この十六羅漢たちの生き生きとした表情はどうであろう。ある者はひたすらに笑い、ある者は酒壺の前で顔を隠し、ある者はウィンクしている。羅漢の最後に彫られた阿氏多尊者の背銘には「神通光明木喰明満仙人」と刻まれているが、そのあご髭を伸ばした丸顔が自刻像そのものであることも興味深い。

住吉大明神
住吉大明神
上人90歳、清源寺での最後の彫刻
阿氏多尊者
阿氏多尊者
上人89歳、一千一体目の自刻像である
蘇賓陀尊者(そびんだそんじゃ)
蘇賓陀尊者(そびんだそんじゃ)
諾距羅尊者(だごらそんじゃ)
諾距羅尊者(だごらそんじゃ)
戒博迦尊者(じゅうばぎそんじゃ)
戒博迦尊者(じゅうばぎそんじゃ)
釈迦三尊像
釈迦三尊像
左側 阿難陀尊者
文化4年正月20日(1807)木喰上人90歳 作
中央 釋迦牟尼佛
文化3年12月24日(1806)木喰上人89歳 作
一千体満願像
右側 大迦葉尊者
文化4年正月26日(1806)木喰上人90歳 作
木喰仏

商売繁盛のご縁をいただく木喰さん

木喰仏は、どなたも笑みをたたえておられ、お参りの方々も笑顔になって帰られる。そのせいだろうかご利益にまつわる話がある。

最初は、焼鳥屋に勤めるパート女性。

店の大将から店を閉める話があり、次の仕事を考えていた時だった。3度目のお参り後、店の客が急に増え出した。変ったことといえば木喰さんに会ったぐらいと気づく。寺に来ない時は閑古鳥。帰るとほぼ満席になる。その後はお客が定着して、お蔭さまで店を締めずに済んだという。

実はこの女性、同じ八木町の京都帝釈天に参ったそうである。山道の参道から下りて来た時、麓にある福寿寺の檀家さんに呼び止められた。曰く、「近くの清源寺さんに木喰さんがいてる、もし良ければそちらもお参りしては」と教えられたのがきっかけと話す。もし京都帝釈天に来なければ、そして福寿寺の檀家さんに出会わなければなかったご縁とのこと。「きっと仏さんが彼女を呼び寄せたのでしょう」と、小野崎住職。

この他、若狭で工務店を営む男性、地元の気功師夫婦、車のセールスマンなど、興味深いご利益にまつわる話があり、お参りの折に住職から伺うと良い。

収納庫

坐禅会

木喰仏の微笑みに迎えられ、山間の深閑とした静寂が醸し出す風情を感じながら坐る清源寺の坐禅は格別な趣きがある。

定期では行っていないが、要望があればゆっくり坐っていただくことが出来る。足を組むのが苦手な方は、イス坐禅や正座でもかまわないそうだ。複数名で申し込まれると良い。

※坐禅のお申込は、事前にお問い合わせを。
坐禅会

心を癒す御朱印

木喰上人が彫った一千体目の釈迦如来像などのイラストを配した御朱印がいただける。朱印帳はノート代わりにもなる。製作は家紋研究家の森本勇矢さん、デザインは住職と親交のある奈良県の画家安川眞慈さんの手による。

御朱印には阿弥陀如来、木喰上人、金色の瓢箪をあしらった釈迦如来金瓢箪、釈迦如来図に「みな人のこころを まるくまん丸に…」などの言葉を添えたタイプがある。金色瓢箪は、酒が好きだった木喰上人が使ったであろう瓢箪をあしらったもので、住職が育てている瓢箪を割ったものを版として使っているとのこと。この他、特別朱印の紅葉形や扇形もありこの2種類はサイズが大きめで小さな額に入れると良い。また、希望すれば住職からオリジナルの言葉を書き添えてもらうことも出来る。

小野崎住職は「御朱印を通じ、家に帰っても仏さまのことを思い出してもらえたら」と願われる。

清源寺の御朱印は書体や瓢箪印などがあり、趣向を凝らした朱印は愛好家や参拝者に喜ばれている。

尚、多忙時は応対が出来ないこともあり、御朱印を頂きたい方は事前にお問合せ、予約をお願いしたい。

一部のリピーター限定特別朱印には「合い言葉」が必要で、下記を参考に。

通常の御朱印「木喰羅漢さん」
通常の御朱印「木喰羅漢さん」
朱印帳1,800円
朱印帳 1,800円
清源寺朱印:全八種
通常朱印
  • 御本尊様
  • 木喰羅漢さん
※御朱印お布施
300円、500円 等
特別朱印(一部リピーター限定)
  • 木喰上人(旧)
  • 「拝観 特別朱印」釈迦如来(金瓢箪)
  • 聖観音御詠歌廿七番
  • 木喰上人俳句「まんまる」
  • 紅葉形「手かくし」・阿弥陀如来
  • 扇形「地紙」・釈迦如来
御朱印
御朱印
拝観受付
4月〜11月 午前9時〜午後4時30分
12月〜3月 午前9時〜午後4時
※8月と1月は行事により対応が困難なため、来山をご遠慮頂いています。
拝観料
高校生・大人…500円
小中学生………300円
※不在の場合もあるのでお参りの節は、事前にお問い合わせを。
アクセス
電車利用/JR山陰本線(嵯峨線)八木駅下車 タクシー約10分。徒歩6km、50分
お車利用/京都縦貫道路八木西ICから10分
木喰羅漢さん
※記事は取材時点での内容です。

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