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禅のお話〜よりかからずに生きる〜

サイトTOP > 禅のお話 > よりかからずに生きる(5)

 いろいろ質問を書いていただいているようでございます。
いま初めて質問を拝見しますので、私に答える力量があるかどうか、分かりませんが。いまから十五分ほど時間をいただいておりますので、少しお答えいたします。
 
まず最初に

 


道元禅師が、なぜ坐禅をするかについて、簡潔に。それが仏行だからとおっしゃっております。また、仏道の正門であると説かれています。裏門と正門がありますよね、要するに仏道の正門が坐禅だと。お釈迦様も坐禅によって悟りを開かれました。私どもの坐禅は、そのお釈迦様の坐禅を行ずる、そういう坐禅です。

 私たちは、坐禅ばかりをしているわけにはいきません。ただそういう、鼻面を引き回されるような生き方をしないということが、私たちの日常のなかに生きて行かなければ、ほんとうはいけないわけです。「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」、動いているときには動くそのときには、坐っていることは忘れてください。寝るときには寝る。「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」。そのとき、そのときに本来の自己に立ち返ることが、これが坐禅の真義、真意でございますが。要するに、坐禅を組むのは、坐禅が仏行であるから。仏法の正門であるから。歴代の祖師方は、すべて坐禅によって悟りを得てこられたわけです。そういうことでございます。




坐禅の長さの時間ですが、この坐禅というのはほんとうは、継続して続けることが大事なのです。まとめて十時間やったから、一生しなくていいというものではないんです。ご飯をいただくのと同じように、できれば毎日、わずかでも自己に立ち返ることが重要です。
坐禅をすると、人間何もしないでいると、何もしないでと言うとおかしいのですが、時間を長く感じますでしょう。三分でも結構、遊び惚けているときに比べると長く感じます。ですから、それだけ貴重な時間ですから、十分でも二十分でも結構です。ただし、たゆみなく続けることが肝要です。。
昔は、お線香の燃える時間で、坐禅の時間を決めておりました。一本のお線香の燃える時間を一チュウ(※火編に主という漢字)といいますが、だいたい四十分から四十五分ぐらいです。
いろいろ時間の長短はあっていいと思います。基本的には四十分から四十五分です。ただし、たとえば朝起きてから、お仏壇とか、どこか静かなところで十分続ける。そういうことができれば、お続けいただきたいと思います。

次にまいります。



外へ吐かれても困りますので、飲み込んでください。どうぞ遠慮なく。



いろいろいま、鼻炎とか、そういうことで鼻の詰まることもあるかと思います。そのときは、もう口でしていただいて結構でございます。そのあたりは臨機応変でよろしいかと存じます。


 

これは、詳しくお話しますと切りがないのですが。要するに、基本的には腹式呼吸ということです。腹式呼吸いたしますと、肺の活動も普段よりはよほど活発になります。ですから血流が盛んになり、それによって新陳代謝が活発になります。私どもは丹田呼吸と申しますが。もちろん空気が丹田まで行くわけはないのですが、そういう腹式呼吸を心掛けてください。これは精神的にもよい影響を与えます。



この、分かりませんというのが正解です。ただ心というのは、たとえば道元禅師の言葉で申しますと、「牆壁瓦礫(しょうへきがりゃく)」と。そのへんにある壁とか、瓦、石ころ、それが心だとおっしゃっています。心というのは必ずしも肉体のどこかに閉じ込められたものが心ではなくて、宇宙が心なのです。先ほどご説明しましたね。心だけの世界というのは、ないですよ。常に何か対象がありますから、対象と一つなのですね。一つのところを分けて、心と心の世界というふうに分けますが、本来、心と心の世界は一つです。肉体のなかにあるものだけが心ではございません。
禅の言葉に、「盡十方界是眞實人體」、そういう言葉がございます。「盡十方界(じんじっぽうかい)」というのは宇宙ということです。この宇宙すべてが真実の姿に満ち溢れている。そういう言葉です。人間はそれに気付いていないということですね。
『どこにあるのでしょうか?』
どこにでもあると申せます。ないと言えば、どこにもありません。これはもう少し時間をいただければ、もっとお話できますが、そういうことです。



 

 坐禅を続けるためには、どこか坐禅会とかね、指導者のもとで続けると、ほんとうはいいんですね。
そういう中で今日のこの催しは、「禅をきく会」となっています。禅は聴くだけではダメなんです。自らやることが大事です。そのなかで、自ら仏法について考えるということも必要ですが、この方は雑念におそらくとらわれていらっしゃるんですね。雑念が起こったら、気になってしようがないんでしょうね。放っとけば消えますよ。雑念には根がありません。

 

 


  方角にはこだわりません。ただ私どもの坐禅は基本的には、「面壁(めんぺき)」と申します。壁に向かいます。今日は対面でしておりますが、お家でしたら壁や襖に向かっていたします。あまり光が。今日の私のように、こういうふうにライトを当てられると、ほんとうは最もよくない条件です。だから陽が自分に当たらないような、少し暗いほうがいいですね。あまり明る過ぎないように、暗過ぎないように。そういうところがいいかと思います。


 

まったく違います。瞑想というのは、目を閉じて精神を何かに集中させようとします。英語では「Zen meditation」と言いまして、悟りのことを「meditation」という、瞑想という言葉を使って翻訳しますが、坐禅は瞑想ではございません。眼を開いており、何ものにも集中しません。


仏教のなかには、そういう、何かに集中して坐禅する坐禅もあります。でも私どもの坐禅は、先ほども申しましたように、何ものにも集中しない。とらわれない。集中ということは、とらわれていることですね。瞑想とはまったく違います。

「坐は仏行なり」参禅は、禅に参ずるということは坐禅をすることである。そういう道元禅師のお言葉をもちまして、時間もまいりましたようでございますので、今日はこれにて終わらせていただきます。ご静聴、誠にありがとうございました。 (終了)

 

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