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禅のお話〜わたしの道元さま〜

サイトTOP > 禅のお話 > わたしの道元さま ダイジェスト(1)

立松和平「わたしの道元さま」

立松和平氏作「道元禅師」泉鏡花文学賞受賞 

 平成19年10月20日、立松和平さんの「道元禅師(上下)」(東京書籍)が第35回泉鏡花文学賞(金沢市主催)に決まりました。

この作品は大本山永平寺の機関紙『傘松』誌上に9年間以上にわたり連載されたもの。

 立松氏は「一歩一歩頑なに閉じられた世界をこじ開けていくような力術(わざ)が必要で、楽しいということからはほど遠かった。一字一行が私にとっては未知の世界で、苦しいことこの上なかった」と連載当初をふりかえっています。しかし、道元禅師さまの生涯とその教えにむきあう日々の中で「書き続けることが私の修行である」との思い強くされ、立松さんにとってこの連載はまさに日々の弁道、仏行のような存在となっていったそうです。

 

 今回の受賞を記念して、かつての講演「わたしの道元さま」(平成15年1月26日(日)禅をきく会)のダイジェスト版を掲載します。当時の録音音声もアップしますので、立松さんのあのやさしい語りをお楽しみください。

 

 講演の当日、会場へ電車でお一人でこられた立松さん。著名人でありますが、まさに自然体のお方。お会いした印象はテレビで拝見するとおりでした。

 「時間があると読んでいるんです」と見せていただいたのは、すりきれた正法眼蔵の文庫本。

 穏やに「何度読んでも難しくて歯が立ちませんよ」とおっしゃる立松さん。その顔には期待と喜びがあふれるようで、その爽やかな表情がとても印象的でした。

 

 原稿用紙2,100ページにもおよぶ立松氏の大作。読書の秋に読破するのに最適な読みごたえのある作品です。ぜひお読みいただき道元禅師の求道のご生涯をご堪能ください。

道元禅師

「道元禅師」

 

東京書籍

上巻2,205円

下巻2,310円

 

 

 

 

立松和平「わたしの道元さま」

立松和平「わたしの道元さま」ダイジェスト(1)

 

「正法眼蔵」は僕の地図です

音声を再生する(MP3)

     

・・・こつこつと道元禅師とともに、この5年間と、これから先の5年間を歩み続けるわけです。本当にいい修行をさせてもらっている。皮肉とかそういうことではなくて、本当にそう思っているのですんですね。

 

 道元禅師といえば『正法眼蔵』。非常に難しいご本です。日本語の文学者の一人としても、日本語がここまで到達したかと思わせるような、峨峨たる山脈です。一つの山ではない峨峨たる山脈。富士山がいくつも連なっているような山脈であります。

 

 その書物を暇があれば目を通すようにして読み続けています。しかしわからない。わからないことがあまりにも多いのですが、わからないのも臆せずに読み続けております。

 

 

立松和平氏  僕はこのように思います。少し前に、僕はイギリスのロンドンの公園を歩いていて道に迷いました。広い公園なのです。ピクニックができるような広い、芝生と原っぱみたいな広い公園で、自分がどこにいるのかわからなくなったのです。
  そして道を歩いていくと、やがて地図が出てきました。鉄板に地図が書いてある看板がありました。その地図の道の中にぽつっと赤い点があり、そこが現在地です。日本語なら「現在地」と言いますが、英語では「You are here」と書いてあります。「お前はここだ」というのです。「You are here」。親切です。「お前はここだ」と書いてあるから、自分はここにいるのだと思い、なんとなく全体がわかりました。

  それから先へ先へと、一本道ですから歩いていきました。またやがて看板があり、赤いポチがありました。同じ地図で、印刷したような地図で、そこに赤いポチがあって、その赤いポチは移動しておりました。そこに移動したところに「You are here」と書いてありました。僕は、その何分間か前の看板から次の看板まで、テクテク歩いてきたわけです。そして現在地が変わったわけであります。・・・

 

イメージ  僕はそのとき、はたと気が付きました。我々はいつも歩き続けている。諸行無常ですから、いっときも立ち止まることもなく、歩き続けているわけでございます。そして自分が立ち止まっているつもりでも、時は流れていく。諸行無常です。どんどんどんどん時は飛び去っていく。ですから立ち止まっていても、一箇所にいるというわけではありません。我々は、そうやって人生の道を歩いているわけです。人生は旅だと。あるとき、いまここにいるから「現在地」です。

 あと何年か後に、例えば3年後に同じ場所にいるかというと、それはない。常に我々は変わっているわけであります。その変わっていることを認識することが必要なのではないかと、僕は考えます。

 しかし、その変わっていることを認識することに、どのようにしてそのことが認識できるかという問題がある。自分はいつもこの一点に立ち止まっているわけです。点で立ち止まっているわけです。しかし、こう動いて行ったという痕跡を示すためには、僕が公園で見たような地図が必要になるわけです。その地図をどうやって見るか、何をもって地図とするかということです。僕にとっては『正法眼蔵』が地図です。『正法眼蔵』自体は何も変わらずに山脈としてそびえているわけです。その中を僕が迷って、ちょろちょろ歩いているということです。

 

イメージ  3年目にまったく同じ本で、同じ文章、同じ活字で読むわけです。3年前には何かわからなかったことが、いまわかるということは、しばしばあります。

 僕は55歳になりましたが、40歳ぐらいのときに『正法眼蔵』を細々と読み始めました。40歳のときに全然わからなかったものが、いま少しはわかるようになります。そういうふうに一生かかって読み続けている本というのは、いつもいま「現在地」、人生の「現在地」、「You are here」を示してくれます。お前はここだよという赤い点を教えてくれるのです。『正法眼蔵』は一生懸命に取り組んでいる本です。

 

 僕は、学生のころインドに旅をしました。中村元先生が翻訳された『ブッダのことば』という岩波文庫の本をポケットに入れて行きました。『ブッダのことば』という本は非常にやさしい日本語で、誰にでもわかる、難しい単語なんか全然使っていない、お釈迦さまの言葉として書き留められていた断章です。詩のような短いフレーズです。しかし、やさしい言葉で書かれているが、内実は深いという。本当に辞書を引かなくては読めないような難しい言葉はほとんど使われていない。読めばすらすらと読める。ただ内容はあまりに深いので、それを理解しきったとは、なかなか言うことができません。

 

 つまり、僕は20歳のころに一生懸命に読みました。しかし30歳でまた同じ場所を読めば、また趣きが変わってくる、違ってくるわけです。
  『正法眼蔵』は本格的に読み始めたのは、そのころよりずっと高年齢になってからですが、それでも同じことです。僕はいつも変わっていました。みなさんも同じです。いつも変わっていますからで、そのときの『正法眼蔵』がわからないからといって諦める必要はない。そのとき、その場所の気持ちで読めばいいのだと思うのです。

  ですから『ブッダのことば』を僕は、これもまた自分の座右の本として、なるべく持って歩いて、折りにふれ読み続けていくわけであります。
  『正法眼蔵』も、本当にこれをわかったなどとは、一生言えないだろうと思いながら読んでいます。もうわかった、というのは嘘だと思います。そんなにわかるものではないけれども、すこしづつわかってくるという実感はあるわけです。それが僕は、人生の「現在地」を確かめてくれる偉大なる書物だと思います。
 そういう書物を持つということは、人生の幸福です。いつも迷っている。この虚空の中に放され、自分がどこにいるのかわからないのが我々の常ですよね。 しかし、その書物を読むことによって、自分の「現在地」がわかってくるということです。・・・

 

立松和平「わたしの道元さま」ダイジェスト(2)へ

 

「わたしの道元さま」立松和平氏 講演より



私がわたしになる / よりかからずに生きる /  わたしの道元さま / 寺モノ / ほとけに出逢う / シルクロードの風

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