
立松和平「わたしの道元さま」No.3

はじめにもすこし話しましたが、何年か前に、道元禅師の歌舞伎ができませんか、と歌舞伎の話がありました。道元禅師を芝居にするのには、やはり格式というのが当然必要であると、僕は思います。どこでもいいものではない。伝統的にやはり日本の芝居の最高峰、一番最高の舞台というのは、歌舞伎座の舞台だと思うのです。京都では南座です。もちろん伝統演劇ばかりではないので、何を最高かというのは当然、人によって異論があると思いますが、しかし歌舞伎座で道元禅師をやるならば、これはいいなと、みんなが思うわけです。
僕のところに台本書けという話が回ってきました。そうやって言われるのなら、これも縁だからがんばろうと思ったしだいであります。
しかし考えてみれば、道元禅師を小説にするのも非常に難しいのですが、歌舞伎座の舞台というのは1時間半の時間しか与えられないのです。そうすると1時間半の中で、ある局面の、ある一つのことしか描けないわけです。『御一代記』をずらっとやっても散漫になって、あまり感動するということは難しい。『御一代記』の中で一つのできごとを選び、ドラマチックな部分を描こうというわけです。
僕は小説を書いていて調べているとき、あることに気付きました。源氏の鎌倉将軍頼朝の子どもが二代目将軍頼家です。その子どもに公暁というのがいます。公暁は自分のおじさんにあたる三代将軍実朝を暗殺した人間です。この公暁と道元禅師はまったく歳が一緒なのです。年譜をいろいろ調べていて、そのことに気が付いたのです。しかも園城寺、大津市の三井寺で同時期に修行している。先生は公胤という天台宗のお坊さんです。二人が仲良かったか、仲悪かったかという、記録はもちろんないけれども、小説家の想像力を使わせてもらって、同時に修行したのであれば、おそらく話したことはあるだろうと考えました。
道元禅師は、摂政 藤原家の子どもです。放っておいたらば、いずれは摂政関白になるような人物です。それを全部捨ててお坊さんになっていった。出家していったということです。
一方、公暁の父は鎌倉将軍の頼家です。鎌倉将軍頼家は、北条方に修善寺温泉で殺されました。頼家は、北条方の出身の人である実の母の政子に、修善寺に流される。そして弟の実朝を三代将軍につく。非常に込み入った時代の話です。
そして、結局 頼家は暗殺される。ひどい殺され方です。 お風呂に入っている時に、北条の手の者に襲撃され、真っ裸で殺されるのです。そういうことがあって、父親が殺された公暁という男が、鎌倉から出されてどんな思いで京都に来て修行するのか。大津の園城寺で修行してくるか。
そのときに、道元禅師は中国の仏法に非常に興味を持つ。道元禅師は若いときから疑問をたくさん持った人です。人間というのは生まれながらに悟った存在であるという、本覚思想というものがあります。道元禅師は「本来、生まれながらにして悟った人間であるのに、どうして厳しい修行をしなければならないのか」という疑問を持つわけです。これは有名な話です。
天台の中でお坊さんたちに質問しても全然わからない、解決しない。 結局、日本の中で解決できずに、中国で本当の仏法の先生に会いたいという気持ちが高まってくるわけです。正師に会いたい。本当の勉強がしたい。それには中国に行くしかないだろう。中国に行きたくて行きたくて、道を求めて、求道の精神、本当に強いものが道元禅師にはありました。

我々のいまの時代で一番欠けているのは、求道の気持ちです。本当に命にかけても、命よりもそちらのほうが大事だという、やむにやまれぬ気持ちです。我々はいま、その衝動というか強い気持ち、その気迫に欠けているのではないかと、自分自身を含めて思わざるを得ない。勉強したくて勉強したくてしかたがないわけです。
公暁にとっては嫌な日本です。いろいろ政治的な策動があり、親まで殺され、そして自分はどうやって生きていくかわからない。武士の息子ですから、身体が大きく、武芸に達者な人物だったようです。実際に実朝を切ったときも、一太刀で首を切り離したというのですから、すごい怪力の持ち主だったようです。公暁もこの日本が嫌だったわけです。
このへんから少しフィクションが入り混じってくるので、割引して聴いてくださいね。
僕の考えです。詳しくは小説を読んでください。そのあたりを苦労しながら書きました。わからないことが多すぎるので、ある程度そういうことを使わないと。逸脱したらダメですが、その範囲の中で物語の流れるように想像するのです。
道元禅師は、中国で勉強したい、正師に会いたい。本当の先生に会いたいという思いは非常に強かった。公暁も、中国に行きたかったのではないか。これは想像です。
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