過去の法話

儚い(はかない)という字

京都府 神応寺住職 安達瑞光 老師

誰でも生まれた時のことなど知りません。死んでいく先のこともわかりません。人は夢の彼方から生まれてきて夢の彼方に帰る。それで左に人、右に夢、合わせて儚いという字にして、人生を儚いというのでしょう。

人生が一瞬の儚いものであるからこそ、ぼーとして、日おくりをしているとすぐに老いてしまう。それで しっかりと目を見開いて自分の脚下を照顧せよ、現前の世界をしっかりと見据える、物事のほんとうのところを見失わないように、いつも眼を見開きなさい。すなはち目覚めよとお釈迦様は教えられました。

姿勢を正して、しっかりと大地に自分の身を整え、息を整え、心を整えよ。良く整えし我が身こそ仏なり、人間なりとお示しになられました。

経済不況、世界の情勢や社会の不安が増す現代を生き抜くために、あなたは何をたよりにしていますか?人生には浮き沈みがある、喜び楽しみがあれば、悲しみ失望がある。人の幸福とは困難に出会い克服することだと言う人がいますが、苦悩をも悠然として受けとめ、楽しみと喜びに変えてしまうような、泰然自若の根性を養うことが大切でしょう。

一瞬の儚い人生ですが、毎日がはじめての今日、はじめての私ですから、人生、日々修行です。

目覚めようとする心を発すか否かが、我が人生が楽しいものとなるか、幸不幸の分岐点となる。常に、自分自身の仏心を呼び覚まし続けて生きることです。他に幸せを探し求めても、空虚なものを追いかけているにすぎないことに気づきたいものです。

2004/05/12