過去の法話

食事訓に学ぶ2

京都府 苗秀寺住職 大谷俊定 老師

食事訓の2つ目は
「己が徳行の全欠を忖って供に応ず」ですね。
バスに乗って子供たちと一緒に旅をしました。そこで子供たちに次の質問をしました。
「ご飯は生きていますか?」
と尋ねたのです。
すると一人の子供が
「先生、おかしな質問するね、死んでるに決まってるやんか。生きてたら芽が出てお米になるやんか。」
といったものですから、数人の子供たちが声をそろえて
「そやそや、死んどるわ」と鬼の首を取ったように言いました。
「それじゃ、ご飯を食べなかったらどうなる」と尋ねますと、勢いづいた子供たちは「腹が減って死ぬやんか」
といいました。
「ご飯からエネルギーをもらって命にかえさせてもらってるようにはと考えられないかな」と再び尋ねますと
「やっぱり生きてんのかな。命があるのかなあ。お米の命を食べとんにゃで。」
と言う子供までが出てきました。
「米を殺して命を食べとんにゃわ。死んどるけど命はあるのや。」
少し考えながら発言をするようになりました。
バスの中は子供たちの討論でワイワイ ガヤガヤ にぎやかでした。

子供たちが自分たちの意見としてまとめの発表をしてくれました。
「先生、やっぱりな お米の命を食べてます。稲は刈り取ったから死んでるけど、お米は植えたらまた稲が出てきます。稲の命がお米に入った。だから、お米はいきてます。お米は僕たちのために命をくれとんにゃと思います。」
バスの中は拍手でした。
「では、大切ないのちをくれたお米のために、君達はどのような生き方をしたらいいのかな?」
また、バスの中はワイワイ ガヤガヤにやかな旅を続けさせて頂きました。

皆さんも自問自答してはいかかですか?
「己が徳行の全欠を忖って供に応ず」

2004/03/24