過去の法話

彼岸

兵庫県 最明寺住職 大槻覚心 老師

暑さ寒さも彼岸までと申しまして、お彼岸は暑くもなく寒くもなく、昼夜の時間も、全く同じという、まことに好季節に設けられた仏教の修行期間でございます。

もともと、彼岸はこちらの岸(此岸しがん)に対する言葉で、こちらの岸(此岸)が迷いや苦しみの多いこの世界の事を指すのに対しまして、彼岸というのは悟りの岸で、迷いも苦しみもない仏様の安楽な世界、即ち仏教の理想的世界を指すと考えられているようです。
ですから、彼岸といえば死後の世界だとか、西方極楽浄土とか、とにかく時間的にも空間的にもこの現実とは遥かに遠くにあると思われがちです。

が、そうではありません。 今私たちが生きているこの場所を除いて彼岸を実現するところはない、というのが本当の教えです。
「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」
と古い歌にもありますように、彼岸に行くには 少なくとも、心や物を分けあったり、人間としてのきまりや約束を守ったり、苦しさを耐え忍んだり、人々が幸せになるように毎日一生懸命努めたり、心を落ち着かせたり、生きるための本当の智慧を学んだり…と、様々な行を努めなければならないのです。

そうあらためていうと、大変難しそうですが、実はそうではありません。 このような行いは、目常生活を送るために必要なものばかりですし、すでに皆さん方も大抵の方がこころがけておられると思うのです。   普段からこのような行いが出来れば、我執や執着の心がずっと少なくなり、現実の苦しさも緩和され、心のまなこも開けてきて、むしろ生きやすくなるのです。

人生は苦であるといわれますが、その苦しみをいかに受け止めるか、その苦しみを如何に対処するかで、苦しみに対する見方が随分違ってきます。

逃れることのできない苦しみなら、そこから目をそむけず正面から受け止めてみてください。 人間には、相当耐えるカもあり、耐えているうちに時が解決してくれることも少なくありません。また、芸術家や、発明家などの創造活動をみていると、人間の精神カには、苦しさを喜ぴに変えるカがもともと具わっていると思わずにはおれません。

例え苦しい世のなかであっても、もし貴方が人の為、あるいは自分のためであっても一生懸命努カしている間に、苦しさを忘れ、苦しさがあまり気にならなくなれば、既にあなたは迷いの岸を離れ、悟りの岸に近づいておられると思います。
そこを彼岸といいます。

2003/03/18