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坐禅入門 4 坐禅のポイント

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坐禅のポイント

ここでは、かつて一般の方から寄せられた坐禅に関する質問をまとめました。坐禅にとりくまれる際のヒントにしてください。
ほかにもご質問がありましたら、近畿管区教化センターまでお寄せください。

4.坐禅のポイント Q&A

質問1
坐禅をすれば邪念がとれ、精神修行ができると思っているのですが、正しいでしょうか。どうすれば邪念がとれ、精神統一ができ、不動心になれるのでしょうか。 坐禅を重ねることによって修行をつみ、精神統一、不動心をもつことができるのでしょうか?

回答1

心を正念と邪念に分け、邪念を否定し、正念を肯定するのは分別です。

一切の先入観をすてて、迷悟にとらわれずにただ坐禅をすることを只管打坐(しかんたざ)といいます。

従って、精神統一、不動心をすらめざしません。

「何か」をめざすということは、坐禅を「何か」の手段に用いることになり、それでは受験勉強と同じことになります。

「善悪を思わず、作仏を図る(さとりを得ようと期する)ことなかれ」と道元禅師は示されています。

 


 

質問2
坐禅をしてもなかなか漠然とした不安が取り除けません。どう心構えをしたらよいでしょうか。

回答2

不安を取り除こうとすればするほど、不安は強固になります。
「不安」と「不安を取り除こうとする」のも同じこころです、自分の目で自分の目をみることができないように、不安を相手にしている限り、不安はやむことがありません。「放下著(ほうげじゃく)」ということばがありますが、投げ捨ててしまえということ、つまり放っておけ」ということです。


 

質問3
「あるがままに生きる」ことと、欲望を充足することとの調和はどうしたらよいでしょうか。「あるがまま」ということは、人間が本来もっている欲望を満たすことも含まれているとも思うのですが。

回答3

「あるがまま」について思い違いをしているようです。あらゆるものが本来のありようにおいてあること、たとえば縁起の理法のもとにあることを「あるがまま」といいます。わたしたち人間のおもわくや、はからい、欲望に関わりない世界です。
私たちが「あるがまま」の自己なるためには一切のはからいをもちこまないことが肝要です。坐禅とはそのことです。


 

質問4
「なにものも求めない」とおっしゃいましたが。「何ものも求めない」ことを求めると安心できない)でしょうか?

回答4

八苦のなかに「求不得苦(ぐふとっく)」があります。求めたことが実現しないことによる苦悩を意味します。求める行為のほとんどは自己中心的です。安心を求めてそれが得られなければかえって不安になるという矛盾をおかすことになります。求めないところに安心が実現します。



 

質問5
坐禅は禅宗の作法なのですか。それとも、仏教全体に共通のものなのでしょうか。共通のものであれば、宗派によって方法や呼び方が違うのですか。

回答5

仏教の根源は釈尊の菩提樹下における坐禅正覚(さとり)に基づいています。
現在、いろいろの宗派がありますが、釈尊の正覚に由来しなければ仏教とはいえません。道元禅師は宗派の呼称によって釈尊の正覚を限定することを極力否定されています。釈尊以来歴代の祖師方によって伝えられてきた坐禅を根本とする仏法を我が身、我が心に行ずるのが私達の坐禅です。
天台には止観、密教には阿字観などの行法があり、禅宗と呼ばれる中でも、臨済宗・黄薬宗の坐禅と曹洞宗のそれとは違うところがあります。宗派には宗派としての説き方があり、坐禅をしない宗派もあります。


 

質問6
その時のもっとも楽な(体に優しい)姿勢での坐禅ということではだめなのでしょうか。

回答6

「坐は仏行」と申します。楽な姿勢というならば、寝ていればいいでしょう。しかしいつまでも寝ていることが楽でしょうか。「行」はわたくしごとを持ち込まない行いです。身体に支障のある場合にはそれに応じた最善を相談したり、考えればよいでしょう。



質問7
正しい姿勢を保とうとすることや、呼吸を意識することは正しいのでしょうか。経験を積めば自然に姿勢が正しくなるものですか。

回答7

自分では正しい姿勢だと思っていても、多くの場合そうでないことがありますので、しかるべき人に見てもらうことが大切です。また、正しい姿勢や呼吸の仕方に意識を注ぐことは重要なことです。次第に無意識裡に整ってゆきます。


 

質問8
落ち着きのない隣の人に気が散ってしまいます。一人でする坐禅の方が集中できるような気がしますが、坐禅は集団でするものなのですか。

回答8

坐禅をするにはふさわしい環境が望ましいのはもちろんですが、ふさわしくない場合にもそれらのことにとらわれないでいられることも修行の一面です。
川のせせらぎや鳥の声も気にしはじめると心をいらだたせることもあるでしょう。坐禅は一人でするのも、何人でするのも同じです。修行は衆力(共に道を求めるちから)をもってするといわれる点からいえば、同心の者どうしですることも大切です。また、しかるべき人について、仏祖の教えを学ぶことが不可欠です。


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