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『値札のついた社会』

京都府 隠龍寺住職 児玉哲司 老師

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よく「ものの本当の価値」などと一口に言いますが、ものの価値を見極めるのは、なかなか難しいことです。それというのも、私たちが「価値」と「値段」とを混同しがちだから、ではないでしょうか。

テレビの人気番組に、視聴者が持ち込んだ品物を専門家が鑑定する、というものがあります。古びたお皿が実は珍品で、持ち主もあっと驚く高値がつくこともあれば、反対に、自信満々で持ち込まれた壷が、実はにせもので二束三文だったり・・・。なかなかドラマチックで、見る者を飽きさせません。

 

けれども、この番組を見たあと、いつも不思議な思いにとらわれます。どうして人は、売りたいわけでもないのに、自分の持ちものを値踏みしてほしがるのでしょうか。
気に入った皿や壷にどんな値段がつこうが、使い勝手や見た目が変わるわけではありません。私が使う限り、その品物の価値は、値段に関係なく変わらないはずです。
なのに、どうして私たちは、値段をつけてほしいと思うのでしょうか。値段がつくことで、私たちは何を求めているのでしょうか。


「価値」というのは本来、私個人とその品物の間だけの関係です。言わば、私がどんな生活をしていて、どんな風にその品物に向き合っているか、そのありようをよくも悪くも、ものの「価値」というわけでしょう。道元さまはこの関係を、「目の前の山も川も、心に他ならない」とおっしゃいました。ものの価値は自分のありようであって、人の評価を受けるものではない、ということです。

しかし、「値段」は違います。こちらは、いわば他人の欲望のつりあう地点のことですから、はなから私のありようなど関係ありません。してみると、値段を知らないと安心できない私たちは、他人の欲望に巻き込まれてしまっていながら、それに気がついていないのかもしれません


中国の古い禅の書物に、この点を鋭く皮肉った問答があります。「この世で何が一番尊いか」という質問に、「死んだ猫の頭」と答えているのです。そのわけは、「誰も値段をつけないから」。


ひょっとすると私たちは、身のまわりのものに、本来ないはずの値札をつけることで、世界をかえって軽いものにしてしまってはいないでしょうか。一度よく考えてみる必要がありそうです。


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