■■ 公募「わたしの道元さま」作品発表 ■■

曹洞宗近畿管区教化センター


 
 曹洞宗「わたしの道元さま」公募作品
文芸部門 部門賞
わたしの道元さま

『典座教訓』と出会って

東京都 大平由紀子(35歳)



両親の実家がともに曹洞宗であり、幼いころから道元禅師の話を聞いたり、祖父母に手を引かれ、鶴見の総持寺の門をくぐったりしていた。
 このように、道元禅師の教えは、物心つく前から馴染みがあったが、より私の心身に深く響くようになったのは、実は大人になって家を出て、自ら台所仕事を預かるようになってからだ。
 とはいえ、最初は、仕事と家庭との両立の忙しさを理由に、ずいぶんと食をおろそかにしていた。閉店間際のスーパーに駆け込み、出来合いの惣菜を買ったり、コンビニのおにぎりやパンなどですます事も多かった。
 ところが、一年ほどたった頃から、理由も分からぬだるさが続き、ある真夏のある日にぐったりと寝込んでしまった。昼過ぎに水分を求めてフラフラと起き上がると、たまたま台所にキュウリがあった。私は無意識のうちにそれを手に取り、さっと水で洗い、そのままがぶりとかじった。
 その瞬間、言葉にはし難いが、私の体の中に、何かがぴんと響くような感じがした。忘れていたものが、はっと目覚めるような感覚だった。そして、その後、不思議と体力が回復していった。
 キュウリの、青みのある香りとみずみずしさが、私の命を救ってくれたのだ。まさに、たった一本のキュウリが、おざなりにしていた「自分の体」というものをちゃんと省みるよう、教えてくれた気がした。そして、私はその日から、その季節に最もおいしい旬の野菜を買うようにし、それを中心に食事を作っていくようになった。
その後しばらくして、図書館である書物を読んでいると、禅寺の様子が載っていた。そこには『五観の偈』が分かりやすく紹介されていた。

 一には功の多少を計り、彼の来処を量る。
(この食事が私の口に入るまでに、どれだけの人たちの苦労があったか考えよう)
 二には己が徳行の、全欠をはかって供に応ず。
(この食事を頂くに値するほど、私たちは徳行を積んでいるだろうか)
 三には心を防ぎ過ちを離るることは、貪等を宗とす。
(この食物に対して、貧る心や厭う心を起こしてはならない)
 四には正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。
(この食物は、天地の生命を宿し、五体を健康に保つための良薬である)
 五には成道の為の故に、今この食を受く。
(この食事を頂くのは、仏さまの教えを体得するためである)

これを読んだ瞬間、あのときの一本のキュウリのことがよみがえってきた。だが、あの時はキュウリが私のところに届くまでどのような苦労があったのか、というところまで考えてはいなかった。また、私の命を救ってくれたキュウリを頂くに値するほど、自分が立派な行いをしているかにいたっては、ただただ恥ずかしさを感じるばかりであった。そのころは仕事の多忙さにかまけて、何事につけ不平不満を言い、愚痴をこぼしてばかりいたのだ。
食べ物が、わが身に呼応する力というものを感じ取っていながらも、全く自分の行いというものに目を向けていなかった。

そして、その書物から、道元禅師の『典座教訓』の存在をしり、早速現代語訳つきの本を購入した。
最初は原文で読んでみようと張り切っていたものの、その難解さに音を上げ、現代語訳から読んでいった。そして、少しずつ読み進めながら、日々の台所仕事を重ねるうちに、『典座教訓』の文字と内容が、目から心へ、そして指先にまで伝わってくる感じがしてきた。


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